매스컴칼럼(マスコミコラム)

잘사는 일본서 쌀 파동경험(豊かな国日本で米ショックを経験)

별이(スバル) 2008. 12. 8. 13:29

 일본 돗토리현 연수할 때 강원일보에 보냈던 기고문입니다.

 日本語の訳文は下または添付ファイルをご覧ください。 

 

崔 炯 奎 氏   

~ 1993年度とっとりふるさと大使 韓国出身 研修員 ~

江原日報  1994年3月

- 豊かな国日本で米ショックを経験 - 凶作で食糧難・・・2時間並んで米一袋

 

 日本国鳥取県は日本列島の南西部にある

人口64万人の小さな県である。

 鳥取県の自然環境や人々の心は、江原道とあまり変わらないと言っていいほど美しく人情あふれる地域である。

 ;江原道は1992年度から鳥取県と国際交流を推進しており、1993年度からは両道県の職員交流事業の一つとして、毎年1名が8ヶ月~10ヶ月の間研修を行っている。

 私は、その第一号の研修生で1993年8月から1994年3月末まで鳥取県庁の市町村振興課で研修中である。

来県したころはまだ日本語が下手だったため、話の全てを聞き取ることは出来なかったが、県職員が現場に出張するときには同行し、住民と話し合う機会が多かった。

 江原道と同様鳥取県も例年20%を越えるかなりの凶作に陥っており、さらにひどい地域ではほぼ50%に達する減収をもたらした。

さらに、ウルグアイラウンド交渉の結果1994年度以降には米国、タイ国などから大量の米を輸入せざるを得なくなった日本の農村地域は、様々な面において経済的な圧迫と苦痛を強いられた。

 当初、ウルグアイラウンド交渉が行われる過程の中で、農民団体の反発が巻き起こっていたが、貿易など産業全般に与える影響と国際社会においての日本の立場や今後の政府対策の取組において農村経済の復活に最も力を入れるという政府からの発表により、農民たちの反発もだんだん弱まってきた。

 ここで、個人よりは国全体の利益に順応する日本人の国民性を知ることができた。

 突然起こった米の需要と供給のアンバランスにより鳥取市内のスーパーマーケットでは既に一ヶ月前から米が売り切れ、自炊をしていた私も他の地域のスーパーまで米を買い求めなければならなくなったが、結局購入できなかった。

 風雨が襲ってきたある日のこと、JAスーパーの前で午前8時から10時まで2時間あまり立ち並び5Kgの米一袋を買うことが出来た「変わった経験」をしたこともある。

 鳥取県西部の農村地域に出張したときのことである。

 今日本では零細農協を合併し広域化する施策が推進されている中、60代の代の男性が鳥取の方言で声をかけてきた。

 「農協が合併されると、我々の声が中央に届かなくなる」と言いながら政府の政策に強い不満をあらわにしていた。

 しかし、私が外国人ということに気づいたとき、表情を変え自分の村の栽培作物と所得水準をさりげなく広報する姿に、世界経済大国日本の精神的な背景を垣間見ることができた。

 今まで我々は、日本のことを近くて遠い国として見てきた。しかし、最も近い位置にあり人の顔も似ており文化的な背景が似ている日本はいつまでも遠い国として考えることはできないだろう。

 両国の利益のためにも、近くて近い国になるよう、両国のより緊密な交流と協力が必要な時期であると考えられる。

 私の研修も残すところあと一ヶ月ほどとなった。自分に任された業務も重要であるが、残りの研修期間日本人の心遣いを見習うことも重要な課題であると考えている。

 日本の皆さんにお世話になった分、6月から江原道で研修予定の鳥取県職員にも江原道民の温かい心を是非伝えていきたいと思う。

 

 

940319 기고(강원일보).doc

 

940319 기고(강원일보).doc
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