일본 돗토리현(鳥取県関連)

돗토리현에 남긴 조선상인의 편지

별이(スバル) 2022. 4. 2. 20:57
3월29자 강원도민일보 기사에 강원도와 돗토리현의 오랜 인연을 나타내는 글이 있어 일본어로 번역해 보았습니다.

「奉行武士岡氏の前に書き上げる。私たちの運命は不吉で、大海の中で台風に遭い、丸十日余りを漂流し、日本国に流れ着いて命を救いました。その恩恵が泰山や海のように高くて深いです。もう万里の外に別れれば、どうしてまた会える日を約束できますか。奉行武士におかれましては天寿を全うすろこととご子孫のご繁栄を記念いたします。 別れを惜しんで朝鮮国の安義基、書す。」

この手紙は203年前、朝鮮のある船長が日本の鳥取藩に残した感謝の挨拶状である。 手紙の主は当時、江原道平海(現在は慶尚北道蔚珍郡)出身の安義基(アン·ウィギ)船長で、宛先は鳥取の役人·岡金右衛門だ。

いきさつはドラマチックだ。 安船長は 1819年(純祖19年)旧暦1月にカタクチイワシなどを積んで出港したが、風浪に遭い、海を渡って鳥取に漂着した。遭難船には計12人の船員が乗っていた。見ず知らずの地に漂着、不安に震える異邦人たちに鳥取藩の厚意は手厚い。 4ヵ月間の滞在中、米飯に肉と魚のおかずで3食の食事をきちんと提供し、約100人の警護員に健康を管理する医師も配置した。 真夜中に大きな火事が発生した時は、アン船長一行を輿に乗せて救出したりもした。 このような内容は現在、日本の鳥取県立図書館にに残っている掛け軸に手紙や絵として詳しく記されている。 一行はその後、長崎と対馬を経て同年9月に釜山に帰郷し、アン船長は日本を発つ際に感謝の手紙を残した。

アン船長の生還ストーリーは、 1994年、江原道と鳥取県が国際友好提携を結ぶのに決定的な絆になった。 そのように時空を飛び越え、友情を交わした鳥取県から最近、東海岸の大型山火事被害にお見舞いの書簡と義援金を贈ってきた。 これまで水害と山火事の度に12回も義援金を贈っており、江原道(カンウォンド)からも日本の地震被害時に義援金を贈って善隣友誼を深めた。 謝罪もなく、出口も閉ざされた韓日関係がもつれた糸を解きほぐすことを願い、200余年前の昔のことをたどってみた。

http://www.kado.net/news/articleView.html?idxno=1119534

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